パリでのアジェ体験

工房親(CHIKA)深川です。今回は、写真家 相模智之からのお便りPart2「パリでのアジェ体験」です。(Part1 「Steidl滞在記」)

19世末から当時のパリの様子を数多く残した写真家"ウジェーヌ・アジェ (Eugène Atget)"。100年以上経った今、アジェが残した写真を追体験した相模智之が感じたこととは?

 

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私はシュタイデル社での滞在後、パリに向かったのだが、ここではアジェについて書きたいと思う。

私の写真については一世紀前のパリを記録し続けたフランス人写真家ウジェーヌ・アジェの事が話に上がることがある。私自身も一度アジェが赴いたパリを追体験できる機会を望んでいたので、今回時間を取りパリに向かう事にした。
当然ではあるが、パリと東京では街の趣が全く違う為、どのようにこの街に対するアプローチをすれば良いのだろうと思いながら街を歩いていた。初日にアジェが住んでいたアパートを見た後、近くにあるリュクサンブール公園に寄った。この公園もアジェが数多く撮影した公園で、同じ被写体を何ヶ所か見つけることができた。パリの街中には至る所に彫刻物が存在しているのだが、この公園も例外なく数多くの石像が存在していた。いわゆるパリでは日常的光景ではあるが、アジェの撮った写真を現場で見ていると異なる風景に見えてくる。例えば石像と一定の距離を保ちつつ撮影された写真はとてもシュールレアリスティックに見えてくる。石像を近距離から撮影した記録性の高いものから、このように石像と距離を保った写真とを往来しながら見ているのも興味深かった。(写真1)(写真2)

 

▲写真1 ウジェーヌ・アジェ  "Luxembourg" (1923-25)

 

▲写真2 ウジェーヌ・アジェ "Luxembourg"


アジェは約30年に渡ってパリの街を撮り続けた人物である。私はその後、コンティ河岸にある造幣局で撮影された場所(写真3)に赴き、同じ構図でカメラを構えた。(写真4)

 

▲写真3 ウジェーヌ・アジェ "Hotel de la Monnaie, quai de Conti"  (1905-1906)

 

▲写真4 相模智之


(写真3,4)を比較すると、私は立ちながら目線に近い位置で撮影しているのだが、アジェの場合は若干私よりも低い位置から撮られている。高さはどうやら大型カメラを入れる箱にでも座って撮っているのではないかと思うような視線である。結果、私の写真より、より階段との距離が縮んでいる。この視線の位置から撮られた写真も単なる記録写真としてよりも、何か違う要素も入り混じったアジェの一個性の現れている写真になっているのではないかと思った。この視線の高さの違いや、大型カメラによるカメラのアオリ機能などはアジェをパイオニアにする為の大きな役割を果たしていて、アジェの写真で画面上部左右に写る黒い影(大型カメラのアオリの影響で写ってしまう本来なら失敗写真とされるもの)(写真5)は有名であるが、このアオリの影をアジェは何を想い撮影していたのか以前から興味深かったので、そのアオリの影響と橋がある写真に注目し、その橋がある場所に向かった。

 

▲写真5 ウジェーヌ・アジェ Rue de la Montagne-Sainte-GenevièveAvril (1926)


一世紀以上も昔に撮られた風景が今も変わらず原型をとどめてる姿は木造建築物で暮らす日本とは全く異なるが、現在でもこのようにアジェの撮影したポイントにアクセスできるのもまた不思議な感じがするものだった。

▲写真6 ウジェーヌ・アジェ Rue de Brentonvilliers


(写真6)はアジェが撮影した場所で、これはセーヌ川に浮かぶサンルイ島であるが、今もこの通りには橋が架かっていて、私もアジェ同様に同じポイントから撮影を試みた。ここでは何枚かの写真を掲載してみる。(写真7)は私が同じポイントで撮影した写真。(写真8)は私が日本で撮るような構図の写真。(写真9)は通り全体を見渡せるように撮影したものである。

 

▲写真7 同じポイントで撮影した写真

 

▲写真8 日本で撮るような構図の写真

 

▲写真9 通り全体を見渡せるように撮影したもの

 

まず(写真6と7)は造幣局の写真と同様にここでも視線の高さの違いが伺えた。(写真7と8)の撮影を通じて、橋に対するアジェの意識を感じられた。加えて橋を写真に定着させる上での構図がカメラのアオリ機能によって発生する具合とそっくりであった。また、(写真9)ではアジェが撮影した地点の背後のスペースを撮った写真である。この写真を通じて決して構図的には、この撮影地点よりも下がって撮影することが可能であったにも関わらず、この地点、さらにアオリ機能を使用しながらも橋の一部をあたかもアオリ機能で出来る影のように見せている時点で画面上部左右に影を入れる思いがあったのは一目瞭然であった。画面に入ったこの影の効果は、影の有無によって見方に変化が生じるはずで、影をあえて入れて撮影してる点でアジェはストレートな写真でありながら異なる要素をも取り込むことに意識的であったのではと感じた。
このパリでのアジェ体験を経て、通常の意識では見えないパリを目撃し、アジェの視点から学ぶことが多く、実りあるパリ滞在になったことは間違いなかったように思う経験であった。
今後も引き続きリサーチをして、いずれは発表できたら良いと思っています。

 

 

相模智之

 

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相模智之さんから、本原稿を頂いた後に私は横浜美術館のコレクション展でたまたまアジェの写真を覧ました。久しぶりに20点程まとめて覧ることができ、改めてアジェの多くの仕事を思い起こしました。帰宅後に、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のサイトでEugène Atgetのページを検索し作品を調べると、そこには2861作品が掲載されておりアジェの仕事が100年以上経った今もネット上でまとめて見られることに驚かされました。被写体は、街並み、建物、内装、人物、植物など多岐にわたりますが、ページを進めていくとモネ展を覧た後だったので睡蓮や干し草の山の写真が何とも新鮮に見えました。

 

横浜美術館のコレクション展の会期は12月16日まで。アジェの写真をご覧になりたい方は訪れてみてはいかがでしょうか。

写真展示室の展示タイトルは「モネと同時代のフランス写真―都市の風景など」。その他、同時代の写真作家の作品もご覧いただけます。詳しくは下記、横浜美術館のサイトをご覧下さい。

https://yokohama.art.museum/exhibition/index/20180714-513.html

 

 

アジェの作品一覧はMoMA(ニューヨーク近代美術館)のサイトで多くご覧いただけます。

https://www.moma.org/artists/229#works

 

深川伶華

 


Steidl滞在記

工房親(CHIKA)深川です。


CHIKAで今年2月に展示をいたしました写真家 相模智之よりSteidl社での写真集制作についてお便りをいただきましたので紹介いたします。相模智之は、2016年に出版社Steidlが写真集制作を公募した“Steidl Book Award Japan” のグランプリ8人に選ばれました。その後、2018年2月にCHIKAで恵比寿映像祭 地域連携プログラムとして、相模智之 個展「Behind Closed Doors」を開催しました。展示作品は“Steidl Book Award Japan“に『YKTO』として発表されたもので、多くの方にご来場いただきました。(展示のブログはコチラ)Steidlでの写真集制作はどのようなものだったのでしょうか?

 

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私のライフワークとして継続してる写真は約14年になり、撮りためた写真もかなりの数になっていたので、近い将来に写真集としてまとめたい気持ちがあった時に、出版社Steidlが公募を実施することを知り、締め切り直前までにやれることをやった。結果、提出したダミーブックが受賞し出版が決まると言う幸運にも恵まれた中、8月19日から1週間ドイツにあるシュタイデル社へ本作りの為訪問した。渡独前に用意した本文レイアウト(ダミーブックから変更)とテキストを持参して行ったら大きな変更もなく採用され、判型の決定において各ページの余白の取り方やノンブルの配置をデザイン担当するダンカン氏と相談し作業を進めました。

 

▲ミーティング中の様子

 

彼とは内容について、対話やテキストを通じてお互いに理解し合えた甲斐もあり、その後の表紙デザインや素材選びなどスムーズに進行して行き、2~3種類のデザインを提案されてその中から選ぶという流れでした。

それらは常に提案という形で提示され、違うのであれば拒否することも可能であるが、大抵の提案は作品のコンセプトに寄り添っていた。2~3種類と言う選択技は少なく感じるかもしれないが、そこは作家に判断を迷わせないようにする為の必要最低限の中の最良の選択と言ったように感じられた。

ここまで約4日程度でほぼ束見本が仕上がると言う早さであった。同じタイミングで私を含めて4人の受賞者と制作を行っていたのであるが、他の受賞者も似たようなスピード感で進行して行き、一人の方は印刷工程まで進む早さであった。通常では考えられない早さであると思うが、これはシュタイデル社の持つ豊かな経験から来るであろう最良で最少の提案が大きいのではないかと思った。

この後、印刷する用紙を取り寄せる必要がある(私も含めて)3人の受賞者は色校の為、再度渡独になる予定であるがそれも楽しみである。

 

シュタイデルは常に作家に寄り添い、予算は度外視で希望を叶えようとしてくれる。

1週間の滞在中、Steidlvilleと呼ばれる隣接する施設に宿泊が可能となっており、室内でも作業可能である。

 

 ▲室内作業スペース

 

また、昼食は専属のシェフがいて、毎日コース料理を提供してくれ、野菜中心のメニューで本当に美味しい。話によるとメニューは食後に眠くならないように気配りもあるとのこと。

 

▲シュタイデル社の昼食

 

制作でのベストもそうであるが、滞在中の心配りまでも一流であった。

こんな素敵な経験をさせて頂いたシュタイデル社にはいつか恩返ししたいと想いが強くなるばかりだ。

また、仕上がった際にはお伝えしたいと思います。

 

相模智之


「時を描く -絵画表現での時間性- 」作家紹介

今回の展覧会のテーマは「時を描く -絵画表現での時間性- 」。各作家に展示作品や今回のテーマについてお答えいただいたコメントをご紹介します。今週は、西村晴恵、根本篤志、長谷川誠、堀部由佳子の4名を紹介いたします。(アイウエオ順) 
なお、先週のブログはコチラからご覧ください。

西村晴恵


普段描いている、風景や植物をモチーフとした画面と「時間」をどう結びつけていこうか。考える過程でいくつかの気付きがあった。
「植物は時間を感じているのか」そして、「絵を描くこと自体が時間の集積である」こと。
植物にとって、人間が定義した時間の概念は恐らく、ない。だが、体内時計のようなものはあるのだろう。
植物が感じているであろう「時間」を、時間の集積である絵画として描こうと思い、テーマを「植物の三位一体」とした。


根本篤志

 

描いた花の上に、版画で繰り返しイメージを刷り、貼る。シワが出来る。そこに線を引く、繰り返すこと。線を引く、貼る、紙にシワが出来る、そうしてそのものが自然とイメージになっていく。それは、目の前の絵との対話です。それは、大切な人を思って花を贈ることと、送った思いがまた別の思いになってたくさんの人に広がっていくことに、似ていると思うのです。

絵画は別の何かに変換していく行為なのではないかと思っています。
例えば、線の集積でデッサンをしていく。線じゃない別のイメージになったときにすごい!と、なる。それならば、自分が行う行為そのものが別のイメージにならないか、ということを考えていました。行為の結果ではなく、過程そのものが、別の何かになるんじゃないかと、考えて描いていました。

そんなことをつらつらと考えながら、絵を描く瞬間とか、版画の版の生きていることとか、絵画に流れる時と版画の時のこと、版画と絵の関係を思って制作に入っていました。

絵画の時間は不思議なものです。小説は言葉を読みながらゆったりと時間が流れる。音楽は音を聞きながら演者と共に同じ時間を共有していく。映画は映像の流れに身を任せていく。絵画はそのどの時間ともまた違う。
描き手はそれぞれの時間で絵を描いていきます。絵には描き手の時間が詰まっています。けれど、見る人はそんなに長い時間見はしないでしょう。時にそれは一瞬で終わってしまう。
絵画の時間は見えづらい。だからこそ、別の何かに変換する行為の結果ではなく、描く時間その行為を見えるようなものができないかと思いました。

「時」という題を与えられたからこその、それはとても思いつきのようなことでした。
その考えを貫くには枠が邪魔なのだと言うことに初めて気づきました。これは自分にとって大きな発見でした。
トークイベントでも感じたのはやはり枠のことでした。人それぞれに枠というのがある。今の自分は自分で当てはめてしまっている枠がきっと邪魔なのだろうと、そんなことを考えていました。


長谷川誠

 

今回の出品作品は、いずれも”スタイラス”と私自身が呼んでいる、支持体に塗布したジェッソを乾燥後、自作のニードルによってなぞることによる摩擦痕で描画する方法による。ストイックでわずかなグレートーンしか得られない方法は、自分自身を”描く”という行為から遠ざけてくれるように感じ、長い間続けている。描くモチーフも視界の先に消えていくような、記憶による風景であったり、その断片であったりする。「道しるべ」、「いきを辿る」という作品タイトルも、自然の中で感じた身体的な記憶をなぞるために付けた。

今回のテーマは、ー絵画表現での時間性ーであり、絵画という宿命的な構造から、平面(絵画表面)における時間性の意味や、当然、制作過程を含めた”時”に対する捉え方を再考でき、”時”の変質こそが作品としての本質に他ならないことを確認できた気がする。”時”に対する意識は頻発化する自然災害やこれまで経験したことのないような自然現象に遭遇することで、気象や地理の変動といったものも大きく言えば自然の時間軸の中で起こるべくして起きているのかもしれないことに気付かされる思いだ。私は自然に向きあいながら、自然を貫く胎動に耳を傾け、太古から未来へつづく静かな自然のうねりを感ぜずにはいられないのです。


堀部由佳子

時間というテーマをいただいた時は、以前制作していた作品を思い出しました。その”時間洲”というタイトルの作品をつくっていた時は、時間を経る中での、傷や沁みや落書きなどの堆積と内面の記憶の堆積を意識していましたが、今回の作品のタイトルはmovingということで、”止まらず動いていること”(時)を意識して制作しています。
 具体的にやってみての制作なので、油絵の制作は過程でいつも迷いが生じて苦戦するように思います。油絵の場合は一旦忘れるための時間をおきながらの制作になります。
 

 

 

展覧会もいよいよ明日29日(土)の18:00で終了します。ご覧くださいました皆様に感謝を、まだの方は是非、お見逃しなく ! 

 

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シリーズ企画「絵画を考える」

 

「時を描く -絵画表現での時間性-」

会期: 9月8日(土) - 9月29日(土) 

OPEN 12:00  CLOSED 19:00
※日曜・最終日 18:00 まで
休廊 月・火

 

http://www.kobochika.com/homepage/html/exhibition_20180908_0929.html

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馬場隆子


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