藤村豪 個展「誰かの主題歌を歌うときに」

7月上旬、東京も1日中傘を手放なせない日に江東区白河のKANA KAWANISHI GALLERYの藤村豪さんの個展「誰かの主題歌を歌うときに」 を観に行った。(展覧会は7月18日まで。)


日本はコロナ感染の不安な中、九州は大雨で河川が氾濫したり土砂崩れが起きて、被害が広がっている。雨の脅威はさらに、近畿関東甲信越にも広がった。


藤村豪さんは、3年前に工房親で深川雅文さんとご一緒した展示「ART×BIKE」で、深川さんにご紹介頂いた作家さんだ。


この展示中には、藤村さんと自動翻訳を介した深川雅文氏(キュレーター/クリティック)との往復書簡をパフォーマンス作品として会期中に完成させる、ことも行われている。


私は、このパフォーマンスは、今回の展覧会に重要な意味を持っている、と感じた。


以下にギャラリーによる紹介文を抜粋する。

http://www.kanakawanishi.com/exhibition-026-takeshi-fujimura

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藤村は「他者の経験を私たちはどのように理解するのか」、そしてその分有についてを確かに実感し得るものとして、主に写真や映像で提示する作品群を一貫して制作し続けてきました。


例えば、映像作品《同じ質問を繰り返す/同じことを繰り返し思い出す(どうして離婚したの?)》(2014年より継続)では、同じ人物に「離婚した理由を教えてください」と6年間に渡り、同じ質問を投げかけ続け、その時々で本人から紡ぎだされる言葉を映し出しています。質問をする度にその理由とそれを表す言葉が変化をする様子は、当事者と出来事の結びつきの流動性、その度に変更を求められる聞き手の理解といったものを、時の移ろいとともに示します。


本展『誰かの主題歌を歌うときに』は藤村が日常的に向かい合う出来事をモチーフに、写真、映像、そしてテキストを中心としたインスタレーションで構成されます。


届いた時にあらかた文字が消えていたポストカード、作家自身のそれとは異なる姿をした息子の左手、身近な自然現象についての探索、友人の離婚をめぐる対話。その起点をより私的なものとしながら、様々な出来事の理解のために試みた「手探りで無遠慮」な、そして「不自然な再演」についての記録の数々が紹介されることになります。

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今回コロナ感染のパンデミックによって、藤村さんだけでなくても、多くの人々が人との距離感や関係を考えたと思う。


だが藤村さんは特別に彼独自の感性と資質で、それをみごとに展覧会で表現している。

展示方法のバランスも良く、わかりやすく、美しく観た後に爽やかさが残り、晴れない空やモワッとした空気がスッキリとしたように感じられた。


馬場隆子


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展覧会は終わったが、会場の様子が3Dアーカイブでご覧いただける。


▼3Dアーカイブ

https://my.matterport.com/show/?m=A5DEtekAGFL


New  Photographic  Objects 写真と映像の物質性

工房チカのブログは、長いことチカの展示に関することをトピックスとしてきた。
特に展覧会の舞台裏を紹介したり、展示作家のインタビュー記事を中心にしてきた。

しかし、今年は2月末の恵比寿映像祭参加の展示以降チカの展示は9月が来るまでない。
すでに4ヵ月展示がないので困った。

コロナ感染拡大で、ひと頃は、美術館やギャラリーの展示も多くはクローズしていた。
不要不急の外出自粛要請も続いていた。

最近(7月3日時点)、漸く少しずつ美術館での展示や画廊などの展示が始まったが、再び、感染者が増加の中で私は、ちょっと躊躇もしている。

しかし7月3日どうしても観たかった「New  Photographic  Objects 写真と映像の物質性」(6/2- 9/6、埼玉県立近代美術館)を観に行った。


 

東京で100名以上の新たな感染者が出たあとで(7月3日時点)、埼玉県に行くのは、少々気が引けたが、空いた時間を選んだので、電車もガラすきだった。

展覧会も観客は私一人だった。

展覧会の内容は、まさにタイトルが腑に落ちるものだった。
写真や映像作品の展示なのだが、オブジェを感じられる展示だった。

この展覧会を観たかったのはもう1点ある。
それは2月のチカの展示「2人のショー」の横田大輔氏も展示していることだ。

今回の彼の作品は、大判のポリ塩化ビニールのシートにプリントされたものをカーテンのように下げて、重ねたり、だらりと手前に出して、立体作品のようであり、シートの物質性が際立つ。
見る角度によってや裏側?から見たりすると、色々な物が浮かんだり、イメージが次々と現れる。

青空に白い雲やベッドやバスタブも見える。
それらは、リアルに見えたり、何となくのイメージと重なって見える。
説明を見ると、彼は一人で都内のラブホテルに泊まって、撮影し制作したようだ。

作家は、私をとんでもない場所や想像の世界、思いがけない気付きに導く。

今回の展示は4人と1ユニットの展示で構成されていたのが良かった。
展覧会のコンセプトが明確に強く伝わってきた。

 

馬場隆子


春韻展を振り返る

2020年、工房 “親” は皆様のお力添えあって、設立30周年を迎えました。
ここまで、支えて下さいました皆様に感謝申し上げます。

 

1年を通してシリーズ企画の紹介や30周年の振り返り等、今後についてwebsiteで随時更新しておりますが、ブログでも紹介していきます。

 

今回は、春韻展について紹介いたします。

 

シリーズ企画
1月開催 2014年から開催

「春韻」

年明けにふさわしい企画展として、女性の平面作品をグループ展で紹介したいと、春韻という造語をタイトルにしてスタートした展覧会も、2014年から毎年開催し、今年で7回目を迎える。

1990年に、工房 親 を設立して、1991年4月に初の企画展を開催した。

当時は、バブル景気のなごりがあり、その後バブルがはじけた。
更に、ミレニアムを迎え、社会や世界の環境はさまざまな分野で急速に変わった。
もちろん、現在の社会、世界と、その先を見据える現代アートも、大きな影響を受けて、スピードアップして進化した。

そのような移り変わりの中で、工房親の企画展示の在り方を考えた。
広いスペースや大きな仕掛け費用が不可欠で、メディア対応も強くアピールしなければならない展示は、チカには厳しい。

そういう中で、チカらしい展示は何か?

チカらしさは、大きなものでなくても、見た人が気持ち良くなったり、心が開かれたり、何かを気づかせて、きっかけを作るようなもの、作家が真摯に向き合って制作したものを丁寧に展示することと思った。

春は誰にも、待ち通しい希望の未来を思いおこす。
韻は音から来ている。

正月も、昔と比べて、非常に変わった。
しかし、今でも年が明けると、人は気持ちが良く、めでたさを思う。

そんな人々が願う希望やめでたさを6人の女性に制作してもらい丁寧に展示する。

それが春韻展です。

年齢も手法もそれぞれ違う6人の女性の作品は、違いがあっても、美しいハーモニーを醸し出す。


2020年「春韻」展の情報はコチラ


空……その青色の非物質性

フランスの美術家Yves Klein(イブ・クライン)が自身の青色をIKB(インタナショナル・クライン・ブルー)
として意匠登録を申請したことがあった。
このクラインブルーのみでのタブローは非物質絵画の領域に至ったとして話題をさらったものだ。
だが、このタブローを見るとそれまでの絵画性を取り払ったというよりも、クラインブルーによる
オブジェとしての感じを受けるのは免れない。
イブ・クラインもそれを察してか、後に白いエンプティーな空間のみの展示をしている。
トレードマークのIKBでギャラリーの天井、壁、床を塗った場合、青のタブローと対の物質空間
を生み出す。IKBで塗られたトルソしかり、女性の体のIKBによるものも物質の痕跡を示していた。
IKBそのものは非物質性を感じさせる特性を持つが、塗布されたモノはオブジェ化する。
その点、空の青であるスカイブルーの場合、その場にいれば、非物質性そのものとして感じ取れる。
そこに雲が在るにしても、地上に自然や人工物や人々が在るにしてもその非物質性は変わらない。
なぜこれ程この様に非物質性を感受するのだろう。
以下の2枚の写真はその時の記録であるが、写真ではその非物質性が残像として終わる。
あくまでもその現場に居た時に、その空を目の前にした時にだけ青色の非物質性に包まれる。
目の前にした空の青から爽やかながら深い感動を伴う時空間に存在している実感がある。
絵画や写真、その他のメディアに還元されてはそれは消失してしまう。デジタルによるバーチャル
な空間での疑似体験でもやはり消えてしまう。それは非常にデリケートなことだ。
現実の空の青のみが、同時存在するものにその非物質性を感受する機会を与える。心地良く……
空の青をこの様に感受する我々の能力は如何に獲得され継承されるかも実に興味深い。

 

 



                                クボタタケオ


パリ・オペラ座バレエ2020

6月11日東京アラートが解除された。
そしてステップ3に入った。
私は4ヵ月以上行かないでいた映画館に足を運んだ。
まだあまり公共交通機関を利用したくない。

でも、しばらく振りに好きな映画を観るのだから、記念すべきものにしたいと考えて、工房チカから歩いて行ける恵比寿ガーデンシネマを選んでみると、格好な作品があった。

それがパリ・オペラ座バレエ。
私は、映画の良し悪しに関係なく、ダンスやミュージカルやオペラを主題にしたものは良く観る。


 

ダンスはバレエ、クラシックや現代のもの、フラメンコ、タンゴなど、もちろん日舞も含めて私は、踊りや音楽を扱ったものが好きで、それらが手軽に一流のパフォーマンスが見られる映画を見るのです。

映画が好きな私は他にも、もちろんで内容その他が、興味あるものや良さそうと思うものは出来るだけ観たいと考えている。

ただ最近は、時間的にも体力的にも、余裕が無く選択の優先順位がますます難しい。

今回、選んだパリオペラ座もその基準で選んだ。

広報のチラシが、うたっているように、総勢154人が主演する来日不可能な「パリオペラ座ダンスの饗宴」は、見る価値がある。

パリバレエ学校の生徒と団員が総動員154名が、舞台の奥から次から次へと行進し入れ変わる演目は、300年の歴史の中でも特別なもので、めったに見られない貴重な映像だ。
それはまさに壮観で、圧倒的で華麗だ。
まるで万華鏡を観るようだし、パリ大聖堂のノートルダム寺院のステンドグラス薔薇窓のように美しい。
さらに超絶技巧は驚異的で、エトワールの一人は、
30回も回転(私がカウントで誤差がある?かも)していた。

又、ルドルフ  ヌレエフによる「くるみ割人形」も素晴らしい。
ヨーロッパの人々は、クリスマスシーズンが近くなると、社交界の話題は、しばしばくるみ割人形で盛り上がる。
以前、ヨーロッパに留学中の若者が、何であんなにくるみ割人形というのか不思議だったが、バレエくるみ割人形を観て、納得したと語っていたが、
私も似たような経験が、パリオペラ座バレエくるみ割人形の映像を観て、何て素敵なんだろう‼️と感動して以来ずっと、憧れている。

この映画も期待を裏切らなかった。

久々の映画観劇は成功した。
付け加えると、映画館には
10人も観客がなく、前後左右に人の姿が見えなかったのは、コロナ感染予防には、いいかもしれないが、少し残念な感じがした。
改めて、映画館や劇場はまだまだ厳しいかと思った。

馬場隆子


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