七夕

今年、東京は7月に入って日照時間が本当に少ない。夏野菜の生育が悪かったり洗濯物が干せず室内干し用の扇風機が売れていたりと様々な場面で影響が出ている。

 

七夕の日もすっきりしていなかった。そんな中で以下のような便りを頂いた。

***

 

派手好きなお江戸の住民は、天下泰平の世の中で、いかように七夕を祝っていたのだろう。所有する浮世絵版画をさがす。やはりあった。“江戸百景、市中繁栄七夕祭”とされる、添付した広重の浮世絵がそれ。 我々が記憶する七夕は、“ささのは さらさら のきばにゆれる おほしさま きらきら きんぎん すなご” 小学一年の一学期も間もなく終わり、夏休みという頃、めいめいが笹の小枝を学校へ持ち込み、短冊に希望することを書き、笹の枝に結んだ。短冊は歌のような五色など無く、ただ白い紙を長方形に切っただけだが、それでも素晴らしいと立てかけた。その笹を皆が見上げていた。敗戦直前の小学校授業と鮮明に記憶する。

 

 

では浮世絵が残す江戸時代の七夕はと、しさいに見る。目立つのは、そろばん、大福帳、さらに千両箱、酒樽、切ったスイカやタイが長い笹にくくりつけられ風にそよぐ。遠くには江戸城が、さらに遠方には富士山のシルエットが、ここは江戸風景と示す。江戸の住民の願い事は、お金を得ることで、商売繁盛を七夕の最大目的としたようだ。どこにも精神性のある願い事の様子は垣間見えない。 現在でも、七夕笹をまず最初に立てかけるのが、デパートと言われるゆえんが、江戸時代の商人気質を引き継ぐのだろう。ある新聞のコラムが本日取り上げていたのが小学生が書いた短冊。そこには“日本の総理大臣は英語がわかる人になってほしい”とあったとか。

 

七夕伝説は中国渡り。中國では織姫が豪華な牛車に乗って、どうどうと牽牛の所に行く、そうな。それが日本では合わないようで、牽牛が織姫のところへと渡るに変えられた。それも宮中の節会となり、子女の学問、技芸の上達を願う行事として広まる。短冊にも子女が競って願望を文芸的に表現し、うるおいのある風俗行事を発達させた、と平凡社、大百科事典は解説する。 となると広重はなにを写したのだろう。商人はまず、やはり金銭をと願っていたのか。 万葉集にも七夕や、たなばたつめ(織女)を主題にした短歌、長歌が見られる。“我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる梶の音聞こゆ”“ 織姫が川岸で牽牛を恋しく待っていると、夜舟を牽牛が漕いでやってくる、その梶の音が聞こえてくる、と、日本的転化がよくわかる。それでも奈良時代までは文芸的向上の願いなどは未だなく、織姫と牽牛の恋の物語。

 

かように七夕はその時代による変遷を得た。はたして現代、さらに未来にはいか様な変貌を遂げながら日本文化に落ち着くのか、興味ある七夕だ。近時は笹など入手しがたい。そこで売り出されているのがプラスチック製の人造笹。昨日の大阪G20で、米国抜きの合意がなされたパリ協定では、この人造笹の処分にも気を遣うはず。どうする、未来の日本の子供たち?  

 

***

 

梅雨明けは来週以降になりそうだ。

 

馬場隆子


スポンサーサイト

  • 2019.08.23 Friday
  • -
  • 13:30
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
a
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

Recent Posts



Archives

links

search this site.

sponsored links

mobile

qrcode

powered

        みんなのブログポータル JUGEM