鎌倉から

多くの遺跡のある鎌倉、古道にある様々な切通(きりどおし)は実に興味深い。

山に囲まれた地形のため、人々の移動には必要であり、軍事的に大きな役割も果たしていた。

凝灰質砂岩層がメインの地質のため、掘削も可能だったと思われる。

鑿などの削り跡は人々の手作業を物語っている。良く知られる鎌倉の七口の切通の他にも迫力あるものがある。

しかし風化が進み、崩落したり、その危険があるため立ち入り禁止も多い。

自転車では走れない処が殆どだが、鶯のさえずりを聞きながら、担ぎを含む古道ランは気持ちがいい。

付近には墳墓跡のやぐらや石切り場跡も多い。それにしても低山ながら急峻な場所によく作り上げたものだ。

夕暮れの切通では、脇から突然武者が現れ……妖怪がうごめいている様な空気感が漂う。

写真はお気に入りの切通。

 

 

谷戸坂切通

 

朝比奈切通

 

 

 

釈迦堂口切通

 

 

 

 

大仏切通

 

 

長窪切通

 

 

切通は日暮れ時にお出掛けください………

 

                  クボタタケオ

 


悲劇から立ちあがるノートルダム・ド・パリ

この春のショッキングな海外の映像としては、パリのノートルダム寺院の火災であろう。私も昔、パリ在住していた頃、小さな息子を連れてクリスマス礼拝にノートルダム寺院を訪れた。普段、その付近を歩くことはしばしばあったが、礼拝に参加したことはない。当時、カトリック信者の多いフランス家庭ではクリスマスの日は家族で祝う日として、街でのドンチャン騒ぎはほとんど無く、私達のように家族3人しかいない人は少し寂しく「そうだ!礼拝に行こう!」と出かけた。息子は小さかったので、車で行き寺院近くに停めて礼拝した。終了後、車のところに行くと「駐車禁止」に紙が貼られていた。但し、そこにはメモが付け添えてあった。

 

ここは通常駐車禁止です。でも今日は降誕日のおめでたい日で、教会の礼拝に参加したとして今回は許します。

 

というような事が書かれていた。流石粋なはからいと礼拝後の清々しさを残して帰宅した。そんな思い出のある大聖堂の燃え上がる炎を見てショックを受けたらパリ在住の友人から便りが届いた。今日はそちらをご紹介させて頂く。

 

馬場隆子

 

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4月15日夕刻 、ノートルダム寺院の屋根に炎と煙があがって人々の注目をひいた。作業用の足場あたりから火はおどろく速さで拡がり、みるみるうちに93mの尖塔が火柱になる。尖塔が墜落して教会の石の天井にぽっかりと大穴ができた。800度を超える高温と大量の放水で建造物の安定性が懸念される。火の粉や煙をくぐって「茨の冠」はじめ聖遺物や宝物が運びだされる… 夜遅くになって全壊は免れたと発表され、消火作業は翌朝まで続く。西側正面の二つの鐘塔、外壁とあばら骨のような支柱、内部のバラ窓や大オルガンはかろうじて助かった。歴史建造物の知識を備えた消防隊400名の生死をかけた闘いだった。

 

 

 

この火災で尖塔と屋根、屋根をささえる木材の骨組みが消滅した。この屋根裏は13世紀の樫材の梁や棟が交叉する、その壮大さでLa forêt 森とよばれ建築家の誇りだった。尖塔は19世紀にヴィオレ・ル・デュックがつけ加えたもので、ノートルダム寺院の再建に20年を捧げた建築家として知られる。あの怪獣たちも彼のしわざだった。19世紀には「ノートルダムのせむし男」など多くの文学作品のおかげでゴシックへの熱がもりあがり、全国的に中世建築が大がかりに修復された。カジモドのついた13トンの大鐘は南の鐘楼にある。

 

 

 

パリのカテドラルは200年かけて建てられ、革命期をのぞき14世紀中からずっと歴代王・カトリック教徒の祈りの場だった。革命後にはナポレオンの戴冠式、20世紀ドゴールによるパリ解放のミサ, 大統領のお葬式、2011年テロ犠牲者の追悼式など、つねに国民の心の結束の場でもあった。

 

誰でも自由に出入りができるすばらしいモニュメントだったので、世界中のフアンからお見舞いのメッセージが届いた。二度の火災で全焼し灰の中から甦ったベニスの不死鳥・フェニーチェ劇場の激励もあった。南側面の屋根に住むミツバチを案じる照会が殺到し東京からも届いた。奇跡、三つの巣箱は無事でミツバチたちは生存している。放水が続く翌朝、教会を背に路上でフォーレの曲を奏する仏チェロ奏者カピュソンの姿があった。数日後のチャリティー・コンサートにはおおくの音楽家が集まりラングラングもピアノを弾いた。

 

 

 

火災の原因はいまだ不明で、現在は数カ月の建物の補強、細部の診断の段階にある。

寄付金は、こどもの貯金箱の5、10ヨーロから、財閥財団銀行などの2億、1億ヨーロという天文学的数字に至るまで… 一週間で7億ヨーロが集まっている。大統領の5年間で再建には、専門・建築家たち多くが、政治と国家遺産再建の時間は別のもの−性急を避けわれらが貴婦人 (ノートル・ダムの意) にふさわしい再建を、と表明した。まだ設計プランの進め方はわからない。斬新的発想(緑地帯、森、ステンドグラス、クリスタル、炎の塔、光の束、等)もでてきて、伝統を護るか21世紀モデルニズムかでこれから論議は盛り上がる。

ノートル・ダムは国有財産なので、最終の決定権は教会側ではなく国家の方にある。

 

(Y) 


藤の花

私が通っていた中学、高校など、学校の庭には大きな藤棚があった。

深いクリーム色をした壁の西洋風の建物の図書館の前の芝生の庭にその藤棚はあった。

4月末頃から5月最初にかけて深い薄紫色の藤の花と緑のグリーンのコントラストが美しかった。本の好きだった私はよこ図書館に通った。少女にありがちな女性のロマンチックな西洋の小説に憧れていた私はオルコットやエミリー・ブロンテ、シャーロット・ブロンテの小説を多数読んでいた。

 

また、当時母が私を時々新宿にあるオシャレな小物や衣類を扱っている「ウィスタリア」という店に連れて行ってくれていた。そのせいか、私にとって「藤の花はウィスタリア」という洋風なイメージに繋がる。

 

今回、下記に2氏それぞれのメールを頂き私は「私のウィスタリア」を思い出した。春は様々な花が咲き、それら一つ一つには人それぞれの色があり香りがあってみた人達にイメージや思い出を与えている。ある人にとっては日本舞踊の藤娘であるかもしれない。メールを頂いた2人のうち一人はボッティチェリの絵画「春」、もう一人は日本の短歌。時代は平成から令和になったが、これからも美しい花を愛し楽しむ人々が増えて欲しい。

 

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A氏

 

藤の花の甘い密にハナアブがブンブンと羽音を奏でている。藤の甘い香りが藤棚から周辺に満ち、ハナアブの眠気を誘うような羽音が響く春が到来した。鼻腔に香りが満ち溢れ、耳奥を幽かに撫でる低音が聞こえだすと、春の女神のお出まし。ルネッサンス期の画家ボッティチェリが描いた“春”(La Primavera)を思い出させる。

 

▲サンドロ・ボッティチェリ「春」(La Primavera)

 

あの絵画の寓意は多くの解釈がなされ、いまだ決まっていない。 あの画面に重く垂れさがる藤が無いのを残念に思っていたので、自宅の庭の藤棚からそよぐ藤を見ては、あの“春”に重ねている。

 

 

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B氏

 

見事な藤が目の前にそよぐのを眺め、その香、はたまた飛び交うハナアブの眠くなりそうな羽音を聴けば、春の到来を五感で捕まえられているのだ。羨ましいような春景色ですね。 ボッチチェリの“春”(La primavera)の前はいつも大勢の人だかりいつも。その見事さに魅了されても、絵画の持つ意味は良くわからない。西風が頬を膨らませ吹くと、多くの花々がビーナスの足元で咲きだし、頭上ではミカンが黄色い実を実らせてもいる。でもキューピッド、三美神、マーキュリーなどと数多い登場者が全体で、何を表すのか古来から論議ばかり。 日本人には大伴家持が天平二十年(748)三月二十四日(4月28日)に詠み、万葉集に収められている歌“藤波の咲き行く見ればほととぎす鳴くべき時に近ずきにけり”だけで、十分に春の到来を感じる。

 

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馬場隆子


平成最後のブログ

2019年に入ってからは昨年、天皇がご退位され4月30日をもって平成が終わり「令和」となる。ということで、この数ヶ月間その事や、それに関したことで話題となり主役の陛下は日々メディアやその他に登場なさってきた。

 

そんな中で、いつも内装の展示を依頼下さっているA店の模様替え。今回、少し厳かで雅な雰囲気に仕立てた。

表の通りに面しているウィンドウも華やかさと荘厳さを取り入れた。

 

「平成」から「令和」になり、紙幣も新札になったり。来年は東京で2度目のオリンピックもある。

 

先日のあるアンケートでは、平成は戦争もなく良い時代だった、幸福だったと解答した人も多かったようだ。

 

お店のインテリアを担当させて頂き、いつまでもお洒落を楽しんだり美しいものを鑑賞し、音楽・芸能を楽しめる時代であることを心から願う。

 

4月19日にNADiff a/p/p/a/r/t で後藤繁雄、港千尋、深川雅文の3氏の共著『現代写真アート原論』(フィルムアート社)の出版記念トークへ行った。深川雅文氏は、今年2月のCHIKAの企画展「アウェー : 安西剛展」のキュレーターです。トークのタイトルは「
新たなアートフォームに向かう『コンテンポラリーアートとしての写真』」 。そして、現代アートの写真家はセレンディピティの役割が重要との話が出た。本当にそうなって欲しいと願っている。

 

その時ご一緒になった、写真家の内田京子さんに撮っていただいた私と伶華さんとの写真。

 

 

内田京子さんは、丁度銀座の「ゆう画廊」で展示をしていらして、後日、私は拝見し楽しませていただいた。

 

馬場隆子

 

 

 


SAKURA

この春は新元号、新札の話題でにぎわいました。

しかし、桜は千年前から歌に詠まれ、絵に描かれお菓子や料理になったり、写真の被写体となり花見の宴が催され今や海外からSAKURA TOURもある。何年も何年も続く、春の主役だ。

 

 

在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の歌のごとし。

 

私も久しぶりに今年は2回花見をした。1回目は2年後に100歳を迎える母との花見。

母は歩くのが苦手なので戸輝の室内から桜を眺めながらのランチ。

 

 

窓の外には薄桃色の桜とモミジの若葉のコントラストが美しく日本画の世界に入ったようだった。

母はランチ何一つ残さず完食。ゆっくりとした良い時間を楽しんだ。

 

 

2回目の花見は葉山に住む親類の家を訪ねてのの花見。

私を除いて、皆80歳を越えているので、こちらも先ず近くまで車で行き、その後桜の下を散策。

 

 

小高い丘の上からの桜は人込みもそんなに無く、素朴な美しさで堪能した。

 

その後は暖かい家の中で桜弁当を頂いた。

 

桜について2人の老紳士の会話を紹介する。

 

ーーー

 

(A氏)

 都の桜は盛りを過ぎた。花吹雪も昨日の小雪に流されていた。今日の強い風に今年の桜の春は追い出される。ところが散歩すると八重櫻が、重く咲き、新たな風情を醸している。 東北被災地でも、福島のソメイヨシノは満開だろう。唐代の詩人、李商隠は詠っていた。“日々春光闘日光 山城斜路杏花香 ――” 春の気配は太陽の光と競い合う 山城からのびる勾配の道に咲くあんずの花もかぐわしい。―― “杏”とは、‘あんず’のことか、’すもも’のことかと 迷いながら 桜咲く小道を歩いてきた。いずれも白い花だ。

 

(B氏)

 強い風にソメイヨシノの枝は大きく揺さぶられている。今日が桜も見納めとなると、行く春が名残りおしい。 白居易を好む私に、あえて李商隠の詩の一節とは、両者の深い関係をいつか語り合ったからにちがいない。その心使いに感謝し、いただいた写真を楽しむ。 国家の盛りから衰亡に至る道で生きた二人の詩人は、その感情に相似ると思うところがある。太原白公(白居易)に贈られた墓碑銘を作ったのも、この李商隠、。 思いがけなくも、桜を、見送る時にあたり、ソメイヨシノと八重櫻を見せていただき感謝。 

 

ーーー

 

どちらも数年ぶりの花見でしたが、だんだん年を取ってきてこれから、この様な時間を時々持ってゆきたいと改めて感じた。

 

馬場隆子

 

 


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